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板持村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
板持村(近世) 江戸期~明治8年の村名石見国美濃【みの】郡のうち江戸期を通じて津和野藩領鹿足【かのあし】郡境近く,高津川の支流二俣【ふたまた】川に流入する板持川流域に位置する村名は糯【もちごめ】に由来し,大炊【おおい】寮の御稲田という(石見私記)「万手鑑」によれば元和年間の村高は128石余,寛永14年は216石余,「天保郷帳」には記載なし上納半紙86丸35束・中保21丸・紙舟12,家数26・人口93(万手鑑)大元社1社明治8年弋田原【わなたはら】村と合併,愛栄【あさか】村となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」